バレエといえば白鳥の湖というほどに有名な作品です。
有名なバリエーションも多く演奏会でバレエなしで取り上げられることも非常に多い作品です
この作品はその後のバレエのスタイルを大きく変化させ、バレエ音楽というもののあり方についても変えた重要なバレエなのです。
ロマンティックバレエからクラシックバレエへ
この作品によってそれまでのロマンティックバレエからクラシックバレエへと変わっていきました。
ロマンティックバレエというのは18世紀後半のフランスのロマン主義にもとづいて生まれたものです。
ロマン主義というのは
伝統や権威に反発し自由で神秘的なものを重んじる。
というもの。
代表的な作品は《ジゼル》や《コッペリア》フィ《ラ・シルード》などで
ドラマ性が主体で演劇的な要素が多いく
ロマンティック・チュチュと言われるスカート型の衣装で踊っていました。
そこからクラシック・バレエは
・マイム(演技)は踊りとを分ける
・ストーリーと関わりのない技巧的なシーンの追加
・連続フェッテなどテクニックの複雑に伴い短いチュチュの開発
・二人で踊る”グラン・パ・ド・ドゥ”の成立
のように変化しました。
バレエ《白鳥の湖》のあらすじ
舞台は中世のドイツ。
ジークフリート王子の21歳の誕生日の祝宴には多くの 友人が集まり、道化が場を盛り上げます。
道化は非常に重要なキャラクターダンサー
そこへ王子の母が現れ、明日の王宮の舞踏会で花嫁を選ぶように言われます。
まだ結婚したくない王子は物思いにふけり友人達とともに白鳥が住む湖へ狩りへ向かう。
白鳥達が泳いでいるところへ月の光が出ると、白鳥はたちまち娘の姿に変わっていきました。
王子はその中でひときわ美しいオデット姫に惹きつけられる。
彼女は悪魔ロットバルトに呪いをかけられており、夜だけ人間の姿に戻ることができるのでした。
呪いを解くただ一つの方法は
”まだ誰も愛したことのない男性に愛を誓ってもらうこと。”
それを知った王子はオデットを明日の舞踏会に誘います。
舞踏会で世界各国の踊りが繰り広げられているところへ魔法でオデットに化けている悪魔の娘、黒鳥のオディールが現れます。
王子はオディールを花嫁に選んでしまい、オデットは愛の誓いを破られたと湖へ走り去ってしまいます。
悪魔の仕業と気づいた王子は湖へ向かい激しい戦いの末に悪魔を打ち破ると
オデットは呪いが解け人間の姿に戻り、2人は結ばれるのでした。
※王子が悪魔に敗れ溺れ死に、2人は天国で結ばれる、というストーリーもあります。
初演は大失敗に終わった白鳥の湖
バレエ音楽の最高傑作といわれる「白鳥の湖」はモスクワのボリショイ劇場の支配人からの依頼で1875年に作曲されました。
この作品がチャイコフスキーにとって初めてのバレエ音楽だったのですが、初演当時は振付家や踊り手に恵まれず、意外なことに評価を得ることはできませんでした。
その後《眠れる森の美女》や《くるみ割り人形》やが成功を収め、再演されたものの評価されず ボリショイ劇場の演目から外されていたそうです。
白鳥の湖が初演時に評価されなかった理由
バレエとしての成功を妨げた理由はいくつかあります。
1.チャイコフスキーの新しい音楽を当時の製作者たちが十分に理解できなかった
それまでのバレエ音楽は第一に踊りを引き立てることが求められており、踊りに付随した音楽でした。
しかし豊かな感情をはらみ、音楽がストーリーをリードしていく《白鳥の湖》の音楽は当時のバレ エ音楽としてはあまりにも斬新だったのです。
2.説明的で複雑な叙述の台本
白鳥の湖のストーリーは状況を説明する必要があったり、精神的に深い叙述的な内容のため
視覚芸術のバレエで現在の演出のようにわかりやすく作るのはとても難しいことだったと思われます。
プティパによる白鳥の湖のリニューアルと蘇演
しかしチャイコフスキーの没後
「眠れる森の美女」を共同制作したマリンスキー劇場のマリウス・プティパによって
振付及び演出が大幅に改定され1895年に蘇演し大成功を収めました。
眠れる森の美女の制作時に「交響曲的なバレエ音楽」とバレエをどのように作り上げるかということを考え抜いて傑作を創り上げたプティパだからできたことなんですね。
それにしてもチャイコフスキーといえば白鳥の湖、クラシック音楽といえば白鳥の湖
というくらいに世界中で知られているメロディーですが、作品が評価されたのは死後というのは悲しいものですね。
バレエの名作解説
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