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バレエ《タリスマン》あらすじと解説~ロシアに行ったイタリア人作曲家リッカルド・ドリゴ~

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バレエ《タリスマン》はコンクールや発表会などでヴァリエーションがよく踊られている作品で全幕で上演している劇場はほぼなく 

ロシアのブリヤート国立歌劇場で2019年に蘇演され話題になりました。

初演の映像がこちら

そんなタリスマンのあらすじとドリゴについての解説をします。

 

バレエ《タリスマン》のあらすじ

舞台はインド。
天界に住んでいる女神ニリチは、父の命令で地上に修行にいくことになりました。


母はニリチにタリスマン(お守り)を渡します。

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”このお守りを持っていればいつでも天界に戻れますが

人間に恋をしてしまったら天界に戻れなくなってしまいますよ”

と伝え、風の神ヴァイユをお供につけてニリチを送り出しました。

 

第1幕

藩主ヌレディンは王の娘、ダマヤンティと婚約していますが

ヌレディンは結婚に乗り気ではありません。


気晴らしに旅に出たヌレディンは道に迷っていると

下界に到着したニリチと出会い一目で恋に落ちます。


突然抱きしめようとするヌレディンにニリチは驚きますが

風の神ヴァイユが風を起こして逃がしてくれます。


しかしこの時お守りのタリスマンを落とし、ヌレディンがそれを拾います。

 

第2幕


宮殿ではヌレディンとダマヤンティの婚礼の準備が進められています。

みんなはパーティーへ行きますが、

ヌレディンは一人その場に残りニリチへと思いを馳せます。

 

そこへニリチが現れ、タリスマンを返してほしいと言います。

しかしヌレディンはニリチを引き留めるためにタリスマンを返すことを拒みます。


ニリチが消えたところへ、王と婚約者のダマヤンティが現れ

婚礼の儀式として夫婦の契りを交わすように促します。


しかしヌレディンは

「他の女性を愛してしまったので、結婚はできない」

と伝えます。


ダマヤンティはショックで気を失ってしまい王は激怒。

 

兵士まで入り乱れての乱闘が始まりますが、タリスマンを取り返すために

風の神ヴァイユが魔術で火柱を起こし争いを止めます。

 

それを見ていたニリチは少しずつヌレディンに惹かれていきます。

 

第3幕


宮殿から帰る途中にヌレディンは僧正女奴隷に出会います。

それがヴァイユとニリチであることを見抜いたヌレディンは

ヴァイユを酒に酔わせ、ニリチをさらいます。


ニリチはタリスマンを返すように繰り返し言いますが

ヌレディンは「地上に留まって、妻になって欲しい!」と迫り、断固としてタリスマンを返しません。


どうしても返してくれないのならとニリチは短剣で自殺を図ります。


ヌレディンはそれを止めますがその態度に怒り
タリスマンを彼女の足元に投げつけます。


タリスマンを取り戻したニリチは天界へ帰ろうとしますが、

ヌレディンの涙を見て激しく心を揺さぶられます。


天界へ戻るか愛を選ぶか

と葛藤しますが

ニリチは愛を選びタリスマンだけが天界へと戻るのでした。

 

 

《タリスマン》の作曲はイタリア人リッカルド・ドリゴ

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タリスマンの初演は1889年にロシアのマリンスキー劇場ですが、作曲はイタリア人作曲家のリッカルド・ドリゴです。

 

なぜロシアの劇場で上演するバレエの作曲をイタリア人がしたのかというと、

彼がイタリアからロシアに移住し、マリンスキー劇場のバレエ指揮者・作曲家だったからです。

 

ドリゴは1846年にイタリアで生まれヴェネツィアで音楽を学んだ後

32歳の時にロシアに移住し、サンクトペテルブルクのイタリア・オペラの指揮者になります。

7年間働いてからその職を辞してマリンスキー劇場のバレエ指揮者・作曲家となりました。

彼が最初に指揮をした作品が《眠れる森の美女》《白鳥の湖》だったと言われています。

 

そしてドリゴの名声を高めたのはアダン作曲の人気演目《海賊》のグラン・パ・ドドゥの作曲でした。

2幕のグラン・パ・ド・ドゥ

 

メドーラの3幕のヴァリエーション

 

この曲は別のバレエ作品《フローラの目覚め》からの引用です。

 

タリスマンの全幕が上演されなくなった理由 

19世紀から20世紀初頭にかけてのマリンスキー劇場ではとても数多くの作品が生み出され初演されてきましたが、全ての作品が現在も上演されているわけではなく

お蔵入りになった作品も少なくありません。

 

タリスマンが上演されなくなった理由として考えられるのは

・舞台がインドということなどが《ラ・バヤデール》と類似している

・登場人物も少なくストーリーにも大きな起伏がなく地味である

 

ということなどがあげられると思います。

 

ラ・バヤデールも一度お蔵入りになったそうなのですが、1961年に蘇演され

その後ルドルフ・ヌレエフも復活に貢献したそうです。

 

タリスマンにはそのような機会がなかったのですね。

 

19世紀にヨーロッパ中から音楽家を集めたロシア帝国

ドリゴのように19世紀のロシア帝国は芸術の発展に大きな関心があり、ヨーロッパ中から優秀な音楽家を集めていました。《海賊》のミンクスもその一人です。

それは作曲家だけではなく、器楽奏者でも例外ではありません。

マリンスキー劇場ではドイツ人のトランペット奏者が働いていたり、ドイツ人のヴァイオリニストがロシアで有名な教師になり教本が世界的に有名になったり。

「西洋の窓」と呼ばれたサンクトペテルブルクはそのような形でさまざまなヨーロッパ文化が混ざり発展していったのですね。

 

しかしそれも1920年ロシア革命によって帝政が崩壊したことによって終わり、外国人音楽家は故郷へ帰らざるを得なくなりました。

そこで帰国できた人もいれば運悪くスパイの容疑をかけられて強制労働に連行された音楽家もいたそうです。

 

踊りに合わせる優雅な音楽のスタイル

タリスマンが初演された1889年はすでにチャイコフスキーの革新的な交響曲的バレエ音楽《白鳥の湖》がありましたが、演出と新しい音楽の形式を合わせることができずに大失敗でした。

 

大成功した眠れる森の美女の初演が1890年だったので、タリスマン作曲当時はそのようなバレエ音楽を作るという考えはなかったと思われます。

 

タリスマンはバレエのスタイルはクラシックですが、音楽はどちらかというとロマンティックに寄っているような

”バレエに合わせた踊りやすい音楽”

という感じです。

 

ドリゴは長くロシアに住んでいましたが、作風はロシアの作曲家とは大きく異なる軽さや優雅さがあります。

やはり音楽は環境の影響は受けても自分の中にあるアイデンティティがあるわけですね。

 

何を軽く感じて何を優雅に感じるのか

というのはロシアでもイタリアでもフランスでもドイツでも大きく違うわけですね。

同じワルツの中でもそうです。

 

踊るときにもそういった違いを少しでも感じたりイメージするだけで違うものができるのではないかと思います。

 

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